第1の森 (墨人会の紹介と自己紹介) 私は1976年から「墨人会」という書団体に所属して、会員として活動しております。同時に2007年からウェブサイト超書教室「書の森」を主宰しております。 墨人会はどういうものかというと・・・・・・ 1952年に京都の竜安寺というお寺の庭(石庭といわれる)に森田子龍・井上有一・江口草玄・関谷義道・中村木子の5人が集まり、旧態依然とした既成の書壇から訣別して真に自由で平等な立場での「書」の追求を目指してできた会です。詳しくは墨人会HPのリンクを貼っていますのでそちらをご覧ください。 墨人会では「墨人」と言う機関誌を毎月出しており、2024年6月現在で739号を数えています。その中から面白そうな記事を何点かご紹介しましょう。 ●すごい顔だね、なんだい。これは・・・ ■乞食だよ。 ●へえーー。 ■もっとも乞食といってもただの乞食じゃない。大徳寺の開祖である大燈国師が、乞食になって修行しているところの絵だよ。 ●チョコマカしている現代人なんか吹っとばされそうな凄い気迫だな ■大燈は鎌倉末期の人だが、臨終のとき、病のために曲がらなくなっていた膝を強引にへし曲げて、血が流れるまま結跏趺坐して死んだというんだ。 ●へえーー。そんな人間の書いた字が見たいもんだね。 ■今日見せられないのが残念だが、まず天下一品だね。口ではとても言えないよ。迫力があるなんて単純なものではない。なにかこう、宇宙と一つになって呼吸しているというか、まあそんなもんだよ。 ●この字は違うのか? ■これはじつは「南無地獄大菩薩」と長さ2メートルぐらいの紙に書いてあるものの上の部分だけなんだけれどね。この大燈の像を書いたのと同じ人が書いたものだ。やはり禅坊主だよ。 ●これも坊主か。しかしこの坊主もただものではなさそうだな。 ■どうだい、この字をどう思うね。 ●そうだな。なんだかヘタクソのようだけど・・・・・。しかしヘタクソというのとも違うかな。とにかくうまくはない。 ■下手とかうまいとかなんていうのと全く次元が違うんだよ。いったい書ばかりでなく絵でも音楽でもみんなそうだろうが、一見うまいという感をおこさせるようなもには、たいしたものではないさ。また見る方もすぐ上手下手という眼で見るやつは俗物さ。 ●ではおれも俗物というわけか。 ■そうさ。お互い俗物さ。俗物だから何とか妻子に飯も食わせられるというわけよ。 ●ハハハ。 ■だけどね。この大燈が乞食になって修行していたときは、おそらく乞食になりきっていたとおもうんだ。乞食になりきってしかも乞食でない、そういうことがあるとおもうけどな。俗物になりきってしかも俗物でないということ。 ●なるほど。しかしそれがポーズだったら鼻もちならんな。 ■うん、どこまでいっても似て非なるものはついてまわるさ。 ●ところでこの字だけど、こうやって見ていると、だんだん下手という感じはなくなってきたね。なにか巨大なものがただよっているような感じがしてきたね。 ■そうか。俗物も本来仏なりだからな。確かにただ巨大な人間の精神といったものを直に感じる字だ。こういうものがほんものだよ。文字の形とか筆の勢いとか異色の美しさとか、そんなものが目につくような書はほんものではない。 ●わかったような分からぬような話だな。ところでいったいこの絵や字を書いた坊主は誰なんだい。 ■白隠だよ。 ●ああ白隠禅師か。江戸時代だな。 ■白隠は禅宗中興の祖として偉大な存在だが、よく書や絵も書いた。その書画の愛好家という者は昔から一部識者の間にはあった。それが最近とみに白隠の芸術というものが、現代芸術の中でクローズアップされてきた。勿論ケチな技巧に浮身をやつす俗物書家どもには縁のないことだがね。 ●おまえも俗物書家ではないのか? ■ないね。俗物教師かも知れんが俗物書家ではない。その証拠には月謝を巻き上げる弟子というものが一人もいない。 ●そんなものかな?ところで白隠のどんな点が現代で関心をよぶんだね。 ■大ざっぱにいって現代の美術というものは小賢しくなっているんだな。一般に技巧を否定しながら、やはり技巧の世界を出られないといったものを感じる。そのあがきに対して白隠は一喝をくらわしているんだよ。白隠が泥臭さと凄みとを漂わせた中に巨大で自由な世界を展開している姿というものは、現代人にとって一大痛棒であると同時に、また新しい希望を与えるものなのだ。 ●近頃欧米でも書とか禅美術に深い関心が持たれているそうだが。 ■向こうの識者は真剣だよ。原爆文明打開の鍵がここにあることに気がついた。日本人も真剣にならねばならぬ。それを国内の知識人のうちには、先方の日本人趣味程度の通俗的な現象面しか見ずに、国内及び海外のその動向を冷笑視する者が多い。明治も百年だからね。この辺で何とかならなくてはね。 「井上有一「無題」墨人 №156 (1968.2)より」 大燈国師 看讀眞詮榜 鎌倉時代 白隠慧鶴 南無地獄大菩薩 江戸時代 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 川村驥山 (1882~1961)書家 驥山の名作「狂草飲中八仙歌」は、驥山酔裏の作であることはよく知られているが、改めてこの六連幅の写真を観て、新たな思いにさそい込まれてしまうのであった。「新たな思い」。その一つは、痛飲のあと、154字という長い詩を、一気に書き通すというその力、文章、詩と完全に一つになりきっていることへの驚き、しかもその作品はまさに天衣無縫、筆と紙と墨と詩と、驥山と一つになって、ただ動き、ただ書く、そこには一点のさわりもなく、驥山が生成躍動して、澄み切った静寂な空間をつくり出している。構想も意図も、すべて驥山そのものとなって、動きに動いて点となり、線となり、文字となって、ただある。驥山の躍動の軌跡が、紙面を深々とした空間と化している。まさしく驚嘆のほかはない。 馬場 玲 墨人 №310(198.3)より ーー掲載は 驥山56歳の作品ーー 墨人の若いひとたちへ もうひとつ、墨人の若い人たちへ言っておきたいことがあります。 私は変わったことをしてやろうなどと思って作品を作ったことは一度もありません。ただ力いっぱいに全力的極力的にぶっつかっていっただけでした。それでも今までの形骸化した書とは、大変ちがう姿にもなり、訴えかける力も格段に大きなものになったと思っております。今、皆さんはそれだけでは墨人の先輩たちの作品とそんなにちがった姿にはならないと思います。似たようなものになり易いと思います。その意味では草創期の私どもの仕事は楽だったし恵まれていたと思います。道のないところに道をつくるという別な苦労はあったにしてもです。今皆さんが直面しておられる道は、すでにある程度かたちをなしているように見えるだけにこれからが大変です。 いままでなかったものを作るということをただ形の上でやってみても空虚なことに終わるのは必定です。いのちの躍動の邪魔になるものを乗り越えていのちまるまるを生かし切るより外に方法はないと思いますし、いのちは人間ひとりひとりに独自なものを与えられております。そのいのちを純一に生き切れば、作品が他と同じものになることは絶対にありません。純一に生き切ったと言えるだけの作品を作ることが第一。それを他のいのちの現れと区別して味わう力を自ら養うと共に、人びとに分からせる努力がどうしても必要になります。自分が書くというだけでなく、見てくれる人びとと共に苦労してゆく広い場所での新しい苦労がなければなぬと思います。 書と言うものを社会を場として書くものにして行く、本当の意味で社会のものにしてゆく、これが第二点。この仕事をやり抜くことのできるのは、皆さんの外にありません。皆さんの前には、私自身もまだ全然手を染めていない、はかり知れない大きな未来が広がっております。 森田子龍 私と筆 より抄録 |